2026.04.27 コーヒーの読み物
物語が溶ける一杯 Vol.1|無一文の私を乗せてくれたタクシー
これは2005 年の話である。
私が初めてニカラグアを訪れた時のことだ。
まだその国の空気も、街の距離感も、人の雰囲気も、何ひとつわかっていなかった。
今のようにスマートフォンがある時代ではない。
地図アプリもない。
中米ではWifiなんてほぼ無い時代。困った時にすぐ検索することもできない。
誰かに連絡を取るにも、ガラケーはあったが、今ほど自由に使えるものではなかった。
旅人にとって頼りになるのは、紙のガイドブックと手書きのメモと自分の勘。
そしてお金は現地の銀行へ行き、トラベラーズチェックを現金に換えて使う。
そんな時代の旅だった。
だからこそ知らない街で何かを失うということは、今とは比べものにならないほど深刻だった。
連絡先を失う。
地図を失う。
お金を失う。
それはそのまま自分が世界から切り離されるのと同義だった。
それを私はマナグアの夜で知ることになる。
昼間の喧騒が嘘のように静かに沈むニカラグアの首都マナグア。
街灯の少ない通りは黒く、たまに通り過ぎる車のヘッドライトだけが街の形をちらりと浮かび上がらせる。
私は、三人組のピストル強盗に遭った。
ついさっきまで私はマタガルパのコーヒー農園を歩いていた。
山の空気、赤く熟したチェリーの艶、パルパーの音、果肉の匂い。
初めて見るニカラグアのコーヒー生産地に興奮し、その余韻を抱えたまま首都へ戻ってきたばかりだった。
しかし、農園で見ていた世界の色は一瞬で変わった。
銃口を向けられた瞬間、頭の中は意外なほどシンプルだった。
抵抗しようとか、逃げようとか、そんな勇ましい考えは出てこない。

ただ一つ『苦しまないように一発で頭を撃ち抜いて欲しい』と願ったのを覚えている。
財布、帽子、ガイドブック、カメラ。
持っていたものは、ほとんどすべて奪われた。
私はどうにか宿へ逃げ帰った。
体は動いているのに、頭の中だけが遅れてついてくるようだった。
部屋に戻ってまず確認したのは“最後の砦”だった。
パスポート。お金。そして携帯電話。この3つがあればなんとか生き残っていける。
パスポートはあった。
お金は小銭が少しだけ見つかった。
しかし、日本への連絡先が入っている携帯電話がどこにも見当たらなかった。
そういえばバッグのジッパーが開いていた。
部屋を出るとき、きちんと閉めたはずだった。
それなのに開いている。
血の気が引いた。
「やられた」
そう思った。
強盗に遭って命からがら逃げ帰ってきた宿で、今度は携帯電話まで盗まれていた。
“泣きっ面に蜂”という言葉が、あれほど現実味を持った夜はない。
紙のガイドブックを失えば、情報を失う。
携帯電話を失えば、連絡手段を失う。
現金を失えば、移動することはおろか、明日の食事も宿代さえも払えない。
“コーヒーの旅”は、その瞬間、“サバイバル”に変わった。
途方に暮れた私は、宿の若いスタッフに相談した。
「強盗に遭って、お金も携帯もなくなってしまった。どうしていいかわからない」
彼は私の話を黙って聞いていた。
そして、少し困ったような顔をして奥へ行った。
しばらくして戻ってきた彼の手には、なぜか私の携帯電話があった。
「ほら。これで日本と連絡を取りなよ」
『盗人にも惻隠の心』とでもいうのか。私を憐れむ心、良心が勝ったのかもしれな。
心の中では「犯人はお前だったのか」と思った。
けれど、それを口に出す気力は残っていなかった。それにここで彼を責めても、状況は何も良くならない。
むしろ今の自分には、敵を増やす余裕などなかった。
彼を“味方”にする方がいい。そう判断した。
人間は追い込まれると、きれいごとではなくかなり現実的になる。
怒りよりもまず生き延びること。
正しさよりもまず明日の朝を迎えること。
次にやるべきことは明確だった。
盗まれたクレジットカードを止めること。
そして日本へ連絡し、自分の状況を伝えること。
宿の電話を借りた。
しかし、何度かけてもつながらない。
「ここから国際電話は無理だよ」
スタッフは申し訳なさそうに言った。
国際電話をかけるには、電話会社が運営する専用の場所へ行かなければならない。
現地ではそういう場所を「ロクトリオ」と呼んでいた。
しかし、もう日が暮れていた。
強盗に遭ったばかりのマナグアの夜へもう一度出ていく勇気はなかった。
その夜、私はほとんど眠れなかった。
ベッドに横たわって目を閉じると、あの銃口が何度も浮かんでくる。
黒く小さな穴。
体は宿のベッドにあるのに、心だけがまだ夜の路上に取り残されていた。
太陽が昇ると、マナグアの街は何事もなかったかのように動き始めていた。
通りには車が走り、人が歩き、屋台からは生活の匂いがする。
昨日、自分の世界がひっくり返ったことなど、この街にとっては何の関係もない。
私は宿の外に出て一台のタクシーを止めた。
運転席の男は、日常の顔をしていた。
昨日も、今日も、明日も、誰かを乗せてどこかへ運ぶ。
マナグアの“普通”を生きている人の顔だった。
そんな彼に、私はとんでもなく無茶なお願いをした。

「昨夜、強盗に遭って、お金がまったくありません。日本に電話をかけたいので、国際電話がかけられる場所まで乗せてほしい。でも今は払えません。日本と連絡がついて、お金を手にできたら、必ずタクシー代を返します。だから私を信じて、どうか乗せてください」
自分で言いながら、無理だと思っていた。
見知らぬ外国人。
お金がない。
いつ返すのかもわからない。
そもそも本当のことを言っている保証もない。
普通に考えれば、断られて当然だった。
運転手の男は困ったような顔をした。
黙ったまま、ハンドルを握っている。
その目だけが、私を測るように動いていた。
この男は信用できるのか。
それとも面倒なことに巻き込まれるのか。
彼の沈黙が長く感じられた。
やがて、彼は短く言った。
「Vamos」(行こう)
その一言を聞いた瞬間、張りつめていたものが少しだけ緩んだ。
同時に心のどこかでこう思った。
『自分はまだ終わっていない』
彼は私をショッピングセンター内にあるロクトリオまで連れて行ってくれた。
それだけではなかった。
手持ちの小銭では足りなかった日本への電話代まで貸してくれた。
私はそこで、ようやく日本へ連絡を取ることができた。
電話の向こうから日本語が聞こえた時、緊張が一気に解けた。
日本語というだけで、こんなにも安心するものなのかと思った。
説明しなければならないことは山ほどあったが、とにかく自分は生きている。
それを伝えられたことが何より大きかった。
その後、運転手は私を宿まできちんと送り届けてくれた。
捨てる神あれば、拾う神あり。
世の中には、ひどいことをする人間がいる。
しかし同時に、見ず知らずの人間に手を差し伸べる人もいる。
私はその両方を、たった二十四時間のあいだに経験した。
そして、宿の若いスタッフは完全に味方になっていた。
彼は宿のオーナーに連絡を取り、私の状況を説明してくれた。
そのおかげで、オーナーが私を日本大使館へ連れて行ってくれることになった。
大使館から日本へ連絡を取り、帰国できるだけの旅費を借りた。
少しずつ状況が動き始めた。
あのタクシー運転手は、その後も毎日宿へ来た。
もちろん私のことを心配してくれていたのだと思う。
だが同時に貸したお金が本当に返ってくるのかも気になっていたのだろう。
その感じがかえって人間らしくておかしかった。
私は手にしたお金の中からタクシー代と電話代を返した。
彼はお金を受け取ると、ゆっくり数えた。
そしてにっこり笑ってポケットにしまった。
その姿を見て、私は心底ほっとした。
私はどこかで「自分は彼の善意に見合う人間でありたい」と思っていたのだ。
これで貸し借りは消えた。
そして信頼関係だけが残った。
無一文になっても人と人との関係は築ける。
言葉が完璧でなくても、国籍が違っても、昨日まで他人だったとしても、人は人を信じることができる。
私はこの出来事を通してニカラグアという国が一気に好きになった。
そして、この物語には続きがある。
数年後、私は再びマナグアにいた。
長距離バスの停留所。
人混み、荷物の山、クラクション、客引きの声。
中米のバスターミナル特有の混沌とした熱気の中に私は立っていた。
そのとき、ひとりのタクシー運転手の顔が目に入った。
あの時の彼だった。
信じられなかった。
マナグアの広い街で、何年も前に自分を助けてくれたタクシー運転手と偶然再会する。
そんなことが本当に起こるのかと思った。
向こうも私を覚えていた。
言葉より先に体が動いた。
私たちは抱き合って奇跡のような再会を喜んだ。

翌日、私は彼のタクシーを丸一日チャーターしてマナグアの街を二人で巡った。
歴史ある教会。
市場の匂い。
湖から吹いてくる風。
地元で流行っているカフェテリア。
あの日とはすべてが違って見えた。
無一文で肩身の狭い思いをしながら乗った時とはまったく違う。
今度は胸を張って彼のタクシーに乗ることができた。
彼に恩返しができたこと、そして一度失なった旅をもう一度取り戻すことができて私は満足していた。
今でもマナグアに行くと、彼のタクシーがそのあたりを走っているのではないかと考えてしまう。
あの時の彼は今も元気にしているだろうか。
誰かを乗せてマナグアの街を走っているだろうか。
そして、あの日の日本人のことを少しでも覚えていてくれるだろうか。
コーヒーの向こう側には、いつも誰かの人生がある。
土の匂いがある。
家族の時間がある。
働く人々の手がある。
そして時には、失われかけた夜とそこに差し伸べられた手がある。
コーヒーはただの飲み物ではない。
『コーヒーの裏にストーリーあり』
それは、単なるスローガンではなく、私が中米を歩き、失敗し、怖い思いをし、それでも人に救われる中で得た実感そのものだ。
私が届けたいのは、豆のスペックだけではない。
品種、精製方法、標高、焙煎度。
もちろんそれらはコーヒーを語るうえで大切な情報だ。
けれど本当に伝えたいのは、その奥にあるものだ。
その土地の空気。
そこで暮らす人々の体温。
生産者の誇り。
旅の途中で出会った人の優しさ。
そして、一杯のコーヒーにたどり着くまでに積み重なったいくつもの物語。
そうした背景まで含めてコーヒーを味わってほしいという願いがある。
あの夜、私はマナグアで多くのものを失った。
けれど同時に、人を信じることの意味を知った。
強盗に遭い、無一文になり、それでも見知らぬタクシー運転手に救われた。
そして数年後、その人と再会し、笑って同じ街を巡ることができた。
その記憶は今も私の中に残っている。
カフェテナンゴのコーヒーには、強盗に遭いながらも人に救われ、そして信頼を築いた あの時のストーリーが溶け込んでいる。
カフェテナンゴ店主かやぬまの紹介記事
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