2026.06.10 生産者特集
パカマラを信じた男たち ~ El Injerto特集 Vol.5
誰も見向きもしなかった品種の逆転劇
自分の娘に「桃香」という名前をつけた理由のひとつに、一杯のコーヒーがある。
エル・インヘルトのパカマラ。
ピーチやパッションフルーツを思わせる、華やかで透き通った香り。なかでも私は、その中心にある桃のような香りが忘れられなかった。あまりに深く記憶に刻まれていたから、娘が生まれたとき、その名前が自然と浮かんだ。
もちろん、コーヒーの香りだけで子どもの名前を決めたわけではない。けれど、あのパカマラが私の中に残したものは、それほど深かった。
一杯のコーヒーが、人生の記憶にまで入り込んでくる。エル・インヘルトのパカマラは、そういうコーヒーである。
しかし、最初からそうだったわけではない。
かつてその品種は、誰も欲しがらないコーヒーだった。
ブルボンとティピカ、二つの血を引く品種
パカマラという品種は、エルサルバドルで生まれた。
エルサルバドルで発見されたブルボンの矮小変異種「パカス」と、ブラジルのマラゴジペ市で発見されたティピカの突然変異種「マラゴジペ」。この二つを掛け合わせて誕生したのが、パカマラだ。
ブルボンとティピカという、アラビカ種の中でも古い系譜に属し、カップクオリティの高さで知られる二つの血を引く品種。ブルボン由来のフルーティな甘さと、マラゴジペ由来の繊細なハーブのさわやかさ。それが絶妙に調和し、独特な存在感が生まれる。
血統だけを見れば、いかにも素晴らしいコーヒーが生まれそうに思える。
けれど、コーヒーの世界はそれほど単純ではない。血統が良くても、市場がすぐに評価するとは限らない。強い個性を持つ品種ほど、その価値が伝わるまでに時間がかかることがある。
パカマラも、まさにそういう品種だった。
豆面を見るなり「いらない」
かつて、エル・インヘルトに買付にやってくる欧米のバイヤーたちは、パカマラの豆を見るなり言ったという。
「これはいらない。」
味わう前から、もう答えは出ていた。
大粒の豆は、大味だと思われた。つまり見慣れた小粒の豆こそが、良質なコーヒーだという先入観があった。バイヤーたちは一瞥してパカマラを断り、見慣れたサイズの豆を選んで帰っていった。
味わってさえもらえれば——。
農園の側がそう悔しい思いを抱えていたとしても、不思議ではない。
単独では売れず、仕方なくブルボンと抱き合わせで販売しなければいけない時期もあった。
はっきりとした個性は、時に魅力ではなく、扱いにくさとして受け取られる。農園側が可能性を感じていても、市場がそれを理解するまでには時間がかかる。
パカマラは、最初からスターだったわけではない。
見向きもされない時間をくぐり抜けてきた品種だった。
それでも、アルトゥーロは手放さなかった
普通なら、売れない品種は切り捨てる。
農園経営として考えれば、もっと効率の良い品種に植え替えるという判断もあったはずだ。
けれど、エル・インヘルトはそうしなかった。
アルトゥーロ・アギーレ Sr. は、パカマラの可能性を見捨てなかった。
私が初めてエル・インヘルトを訪れたのは2007年のことだったが、アルトゥーロ Sr. は品種についてあまり多くを語らない人だった。しかし、自分たちの農園環境に対しては、揺るぎない自信を持っていた。
ある時、彼はこんなことを言った。
「ほかの農園と比べてみろ。ビルや幹線道路は、近くに無い。ここには汚染物質は一ミリもなく、自然100%だ。この美しい環境で、我々が完璧な仕事をする。それだけだ。」
品種を特別視するのではなく、この土地に植えられたコーヒー全てを愛しているかのような印象を受けた。どんな品種であれ、この環境と、この仕事があれば応える——そういう確信が、彼の言葉の根底にあったように思う。
パカマラを切り捨てなかったのは、パカマラへの特別な思い入れというより、
この土地への絶対的な信頼だったのかもしれない。
品種を選ぶということは、未来を選ぶことでもある。アルトゥーロ Sr. はパカマラを手放さなかった。
そしてその選択が、やがてエル・インヘルトの名前を世界に刻むことになる。
2008年、逆転劇が始まる
私がカフェテナンゴを創業したのは、2008年のことだ。
その同じ年、エル・インヘルトはパカマラでCup of Excellence 1位を獲得した。
2009年も1位。2010年も1位。
3年連続優勝。
かつて欧米のバイヤーに一瞥で断られていた品種が、世界中の審査員を驚かせるコーヒーになった。一度なら偶然と言う人もいるかもしれない。しかし3年連続となれば、話は変わる。それは品種の力であり、土地の力であり、農園の管理の力だ。そして何より、その品種を信じ続けた人たちの力でもあった。
カフェテナンゴが歩き始めた年に、エル・インヘルトのパカマラ伝説も始まった。
それは、私にとって忘れられない重なりだ。
手に入らなくなっていったパカマラ
実は当時カフェテナンゴは、COEのオークションを通さずに、エル・インヘルトのパカマラを仕入れていた。
しかし、優勝を重ねるごとに状況は変わっていった。
多くのロースターがエル・インヘルトのパカマラを欲しがるようになり、やがて割当制が導入された。カフェテナンゴのような小さなロースターには、年間わずか1袋しか割り当てられなくなった。
1袋。
あれほど誰も見向きもしなかったパカマラが、今では世界中のロースターが奪い合う豆になった。
エル・インヘルトのパカマラを愛する者として、これほど喜ばしく、そして困り果てたことはなかった。世界がこの品種の価値に気づいたことは、紛れもなく良いことだ。しかし同時に、あの頃の「当たり前に手元にあったパカマラ」は、静かに遠くなっていった。
逆転劇には、こういう側面もある。
信じた時間が、味になる
パカマラは、最初から伝説だったわけではない。
見向きもされず、一瞥で断られ、それでも手放されなかった品種だ。
華やかな香りの奥に、誰にも評価されなかった時間が溶けている。
エル・インヘルトのパカマラを飲むたびに、私はそれを思う。
あのパカマラの香りは、娘の名前になった。
農園で積み重ねられてきた時間が、今度は別の場所で、別の物語を重ねていく。




















