2026.06.22 生産者特集
エル・インヘルトカフェ——生産者が自分たちの言葉で語り始めた場所 ~ El Injerto特集 Vol.9
私が初めてエル・インヘルトのカフェを訪れたとき、カウンターには、パカマラ、ゲイシャ、マラゴジペといったこの農園を代表する品種が並んでいた。
世界中のロースターがあこがれ、競い合って買い付けてきたコーヒーが、生まれた土地で、静かに一杯として注がれていた。
タネからカップまで
スペシャルティコーヒーの世界には、「From seed to cup」というスローガンがある。
タネを選び、木を育て、収穫し、精製し、焙煎し、抽出する。長いリレーを通して、土地の風味(ユニークさ)を一杯のカップまで届けるという思想だ。
エル・インヘルトは、長い間そのリレーの前半を担ってきた。
世界最高峰のコーヒーを育て、精製し、生豆として海外へ送り出す。その先でどのように焙煎され、どのような味として飲み手に届けられるかは、海の向こうにいるロースターやバリスタに委ねられていた。
しかし直営カフェを持ったことでエル・インヘルトは、カップの中の表現まで自ら引き受けるようになった。
農園が自分たちのコーヒーを自分たちの言葉で語り始めたのである。
エル・インヘルトカフェが誕生した背景
グアテマラの人々は、昔からコーヒーをよく飲んできた。
朝食のテーブルにはコーヒーが並び、レファクシオンという午前10時の軽食や午後のおやつにはパンやビスケットを浸して楽しむ「カフェ・コン・パン」の習慣がある。コーヒーは特別な嗜好品というより、日々の暮らしに深く根づいた飲み物だった。
しかし高品質のコーヒーのほとんど全ては、国内ではなく米国、ヨーロッパや日本などの消費国へ輸出されていた。高品質なコーヒーは、外貨を得るための重要な輸出品だった。国内で消費されるのは、輸出規格から外れた豆や安価なインスタントコーヒーが中心となる。
世界に誇るコーヒーを作っていながら、その国で暮らす人たちは、自国の最上級品をほとんど口にしたことがなかったのだ。生産国でありながら、自分たちが生み出した最高の味を知らない。このねじれは、グアテマラだけでなく多くのコーヒー生産国が抱えてきたものでもある。
状況が変わり始めたのは、2000年代に入ってからだった。
グアテマラシティやアンティグアを中心に、輸出品質の豆を使い、エスプレッソやプアオーバーで提供するカフェが少しずつ現れた。バリスタという職業への関心が高まり、農園名や品種、精製方法による味の違いを楽しむ人も徐々に増えていった。
グアテマラコーヒーの価値を、グアテマラ人が自分たちのものとして受け取り始めたのである。
エル・インヘルトがグアテマラシティにカフェを開いたのも、そんな時代だった。
事務所の一階から始まったカフェ
あるとき、アルトゥーロから「グアテマラシティに自分のカフェを開く」という連絡を受けた。
農園が自分たちのコーヒーを焙煎し、自分たちの手で一杯のカップとして提供する。そう聞いて私は興奮した。彼らの新しい試みを、すぐにでもこの目で見てみたかった。
私はカフェがオープンしたその年にグアテマラへ向かい、さっそく店を訪れた。
カフェは、グアテマラシティにあるエル・インヘルトの事務所の一階にあった。
入るとすぐに気がついたことがある。
客席にはWi-Fiがなかった。
店内には、コーヒーを楽しんでもらうため、あえてWi-Fiを設置していないという趣旨の案内が掲げられていた。
スマートフォンの画面ではなく、目の前の一杯に意識を向けてほしい。
『高品質コーヒーを飲む』という体験を優先する、生産者としての意思が表れていた。
この店は、単に焙煎豆や飲み物を販売するためにつくられた場所ではない。
農園で積み重ねてきた仕事の意味を、最後のカップまで届けるための場所だったのである。
新しい表現の探究
コールドブリューやナイトロコーヒーといった流行をエル・インヘルトが積極的に取り入れてきたのも、すべては探究の一環だ。
今年、私がカフェを訪れた際、アルトゥーロは新しく開発中だというインフューズドコーヒーを飲ませてくれた。
彼らは単に世界の流行を追いかけているのではない。自分たちが育てたコーヒーには、どのような表情が隠れているのか、その可能性の限界を自らの手で押し広げようとしているのだ。
カフェは、農園の仕事の終着点ではなく、次の問いを生み出す場所でもある。
人を育てる場としてのカフェ
エル・インヘルトカフェの役割は、コーヒーの味を表現することだけではなかった。
そこでは人も育てられていた。
グアテマラのスペシャルティコーヒーシーンを語るうえで、いまや欠かせない人物がいる。
José Miguel Echeverría、通称Tecoだ。
現在『Teco Coffee House』を率いる彼は、私の友人でもある。
彼のキャリアの出発点は、このカフェだった。
2011年、エル・インヘルトカフェで働いていたTecoは、グアテマラ国内のバリスタチャンピオンシップに初めて挑戦した。当時、彼はまだとても若く、何の実績もなかった。Teco本人が後のインタビューで語ったところによれば、周囲には『Tecoをバックアップしないほうがよい』とアルトゥーロに助言する人もいたという。それでも、アルトゥーロ父子はTecoの挑戦を支えた。
Tecoは初出場の大会で3位に入賞する。
しかし、それは物語の結末ではなかった。その後もTecoはエル・インヘルトカフェで働き続け、経験を積み、技術を磨いた。そして3年後の2014年、同店に在籍したまま、ついにグアテマラのバリスタチャンピオンとなった。
やがてTecoが独立を決めたときも、アルトゥーロはその決断を快く受け入れた。
後にTecoは、私に直接こう語ってくれた。
「普通は、大会で実績を残したバリスタが独立するとなると、オーナーはいい顔をしないものだ。けんかになることだってある。でもアルトゥーロは快諾してくれた。そのおかげで、今もエル・インヘルトの人たちとは仲良くやっている。感謝しかない」
エル・インヘルトは、パカマラという品種がまだ評価されていなかった時代から、その可能性を信じ、時間をかけて育ててきた。Tecoに対しても同じだったのかもしれない。
この農園の強さは、優れたものを見つける眼だけにあるのではない。可能性が花開くまで育て続けることができるところにある。
その姿勢は、コーヒーの木に対しても人に対しても変わらなかった。
国内消費者の成熟へ向けて
エル・インヘルトは現在、ロゴを一新し、グアテマラ国内で新たな店舗展開を進めようとしている。
カフェでアルトゥーロとコーヒーを飲んでいるとき、彼はこう言った。
「グアテマラ国内でスペシャルティコーヒーの市場は急激に伸びている。国内市場は、もう無視できないほど大きくなってきた」
市場の話をしているはずなのに、その言葉はどこか誇らしげに聞こえた。長年、最高のコーヒーを海の向こうへ送り出してきた人間が、自国の飲み手の成長をこの目で見ている。アルトゥーロの表情には、確かな手応えのようなものがあった。
このカフェは、グアテマラのスペシャルティコーヒー市場を次の段階へ進めるための場所でもある。
From seed to cupのその先
「From seed to cup」——その言葉を、エル・インヘルトはカフェという場所を持つことで、現実にしてきた。
しかし、それを体現するのが最終的な目的ではなかった。
アルトゥーロは、最終的なカップを評価する人、そしてその人がどのような知識を持ち、どのような心構えでいるべきなのかを提示した。それが最終的に、高品質コーヒーの飲み手を育て、市場を成熟に導くことを予見していたからだ。
スマートフォンではなく、目の前の一杯に向き合ってほしい——あの小さな案内に書かれていたことは、このカフェが何を大切にしてきたかを、そのまま言い表していたのかもしれない。
次話では、2007年に私が初めてエル・インヘルトを訪れてから今日まで、この農園とカフェテナンゴがどのような時間を重ねてきたのかを振り返ります。



















