2026.06.25 生産者特集
なぜカフェテナンゴは、エル・インヘルトを伝え続けるのか ~ El Injerto特集 Vol.10
車を降りたとき、風が来た。
標高1750メートル。見渡す限りのコーヒー畑とその向こうに連なるウエウエテナンゴの山々。日差しは強かったが、吹き抜ける風が気持ちよかった。そして何より美しかった。
しばらくアルトゥーロと2人で黙って景色を見ていた。
それから彼が言った。
「Yoshi。ここがCOEで7度1位を獲った区画だ。」
それだけだった。2人でまた、景色を見た。
なぜ10話も書いたのか
エル・インヘルトは、説明しなくても売れる農園だ。
カップオブエクセレンスにおいて合計12度の1位獲得。パカマラという品種を世界に知らしめた農園。スペシャルティコーヒーを少し知っている人なら名前を聞いただけで手が伸びる。わざわざ10話をかけて説明する必要など、本来はない。
それでも私は書いた。
書きながら何度も思った。これは誰のための文章なのか、と。
エル・インヘルトを知らない人への案内なのか。すでに知っている人への補足なのか。それとも、別の何かなのか。
それを考えようとすると、いつも2007年のあの門の前に戻ってしまう。
あの1杯が変えたもの
初めてエル・インヘルトを訪れたのは2007年のことだ。当時私はまだカフェテナンゴを開業しておらず、中米でスペイン語とコーヒーを学んでいた。グアテマラ、ウエウエテナンゴ。地図の上では知っていた場所へ、初めて自分の足で立った。
そして農園のキッチンで1杯のコーヒーを飲んだ。
味は、正直に言えばほとんど覚えていない。しかしあの瞬間に何かが変わったことは、今でもはっきりわかる。
コーヒーの向こうに土地があり、人がいる—— それを頭ではなく身体で知った。
生豆は、ただ仕入れて売るだけの商品ではなくなった。あの日から、ずっとそうだ。
完成した伝説に出会ったのではない
2007年は、エル・インヘルトがブルボンでCOEを初制覇した翌年だった。
パカマラで3連覇を果たすのは、その後のことになる。
つまり私がエル・インヘルトを訪ねたのは、農園がまさに世界的な存在へと変わっていこうとしていた時期だった。
カフェテナンゴを開業した2008年は、その伝説が動き始めた年と重なる。
完成した名門を後から訪ねたのではない。
農園が変わっていく時間を、日本からずっと見てきた。
パカマラが手に入りにくくなっていったこと。プライベートオークション「レゼルバ・デル・コメンダドール」が立ち上がったこと。エル・インヘルトカフェが店舗を広げていく様子。そして今、農園が品種を絞り込もうとしていること。
変化のたびに、受賞歴の一覧には残らないものを見てきた。
長く見てきたからこそ知っていることがある。
農園の価値は、輝かしい瞬間だけでできているのではない。
『宝石のような扱い』と彼は言った
カフェテナンゴを開いた翌年、アルトゥーロが世田谷の店を訪ねてくれた。
当時、店内にはコーヒー豆を並べたガラスケースがあった。それを見たアルトゥーロは、こう言った。
「世界中の顧客の店に行ったが、カフェテナンゴほど感銘を受けた店はない」
うれしい言葉だった。けれど正直に言えば、お世辞だろうとも思っていた。
それから何年か後、グアテマラシティのエル・インヘルトカフェで、私は初めてTecoに会った。
彼は私の顔を見るなり、こう言った。
「お前が、あのカフェテナンゴか。アルトゥーロから店のことは何度も聞いている」
アルトゥーロは帰国後、カフェのスタッフたちに『カフェテナンゴでは、私たちのコーヒーが宝石のように扱われていた』と話していたという。その言葉は、テコにまで伝わっていた。あの時、アルトゥーロが受けた感銘は、グアテマラに戻っても彼の中に生きていたのだ。それを知ったとき、私は誇らしかった。
2019年頃、今度は奥さんと一緒に店を訪れたアルトゥーロがこう言ってくれた。
「カフェテナンゴがエル・インヘルトのコーヒーを扱ってくれていることを、私たちは誇りに思っている」
農園の豆を売ることと、農園の仕事を届けることは、違う。カフェテナンゴが続けてきたのは、後者だ。
その思いがアルトゥーロに届いていたのだとすれば、この言葉は私たちが18年間続けてきたことへのひとつの答えだった。
伝えなければ消えてしまうもの
農園の仕事を届けるということは、ただ仕入れて棚に並べるだけではない。
カフェテナンゴでは、賞歴のないイエローナンセが最も多く売れる。
華やかなゲイシャだけでなく、ブルボンやマラゴジペも選び続けてきた。農園が「これが特別だ」と言うものを、そのまま特別として売るのではなく、自分の舌で確かめ、自分の言葉にして届ける。それがカフェテナンゴの仕事だと思ってきた。
今後エル・インヘルトは、栽培する品種を5つに絞る計画を持っている。農園経営として合理的な判断だ。
その対象には、カフェテナンゴが長年愛してきたマラゴジペやイエローナンセも含まれているが、外から止める権限はない。
それでも、消えゆく品種をこれからも愛し続けるロースターがいることをここに記しておきたい。
そしてもう一つ、伝え続ける理由がある。
その年のロットは、二度と戻らない。
栽培していた品種が無くなれば、その味も失われる。
パカマラが、誰にも見向きもされなかった時代があったこと。
アルトゥーロがプライベートオークションを立ち上げる前に、各国の販売価格を一つひとつ自分で調べていたこと。
書かなければやがて忘れられる。
カフェテナンゴが伝え続けるのは味だけでなく、その味が生まれた瞬間、愛された時間を残すためでもある。
1コンテナの約束
車を降りたとき、風が来た。
アルトゥーロと一緒にパンドラ区画の丘に立ち、2人でしばらく景色を見ていた。
なぜか胸の奥に引っかかるものがあったが、そのときはまだ、それが何なのかわからなかった。
農園を発つ間際、アルトゥーロが一冊の古いノートを持ってきた。
エル・インヘルトには訪れた人が名前や日付、国籍とともに言葉を残す訪問者ノートがある。2007年、初めて農園を訪れた私も、帰り際にそこにメッセージを書いていた。そして、そのことをすっかり忘れていた。
普段はほとんど笑わないアルトゥーロが、そのときは珍しく、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「おまえ、ここに何て書いたか覚えているか?」
自分の文字が目に入った。
『いつかエル・インヘルトのコーヒーを、1コンテナ買い付ける』
当時まだカフェテナンゴを開く前だった。1コンテナ、およそ250袋分。何の根拠もない大きな数字。急に恥ずかしさが込み上げてきた。しかし、約束を果たせていないことが恥ずかしかったのではない。
世田谷の一店舗を守り、目の前の仕事を続けるうちに、私はそれ以上を望むことをやめていた。自分には無理だと、いつの間にか自分で決めていた。そのことが恥ずかしかったのだ。
この10話を書いたのは、エル・インヘルトを説明するためだけではない。2007年のあの日、あのノートに目標を書いた自分をもう一度見つけるためでもあった。
一杯のコーヒーの向こうには、土地があり、人がいて、積み重ねられた時間がある。それを知ったとき、コーヒーは単なる商品ではなくなる。私にとって2007年がそうだったように。
だからカフェテナンゴは、これからもエル・インヘルトを伝え続ける。
1コンテナの約束は、まだ果たされていない。



















